このサイトについて

このサイトは 榮井豊という詩人が短詩形に出会い、この世を去る日まで、自分の
作品を認識できなくなっても作り続けた、作り続けなくてはならなかった作品の軌
跡を公開し、できるだけたくさんの方に榮井豊の作品に出会っていただくために作
られたものです。

あなたの心に響く作品がひとつでも多くありますように。

 

榮井豊  略歴

昭和33年2月18日 淡路島に生まれる。

子供時代 明石、神戸で過ごす

21歳 家業を継いで井戸屋となる

25歳 結婚

26歳 父となる

30歳 再び父となる

42歳 病に倒れる

43歳 平成13年3月24日 死去

物心つく前から言葉遊びが好きで、一人で遊んでいた。この世を去るその日まで。

 

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今月の詩

豊の作品の中から、毎月管理人が選んだ作品を紹介します。

一行詩 「颱」

豊は一行詩の会「颱」に所属し、同人誌に毎月作品を投稿していました。
作品の選択と並びにも苦心した作品群です。投稿した順に掲載し、その軌跡
を追いたいと思います。

二十の詩

豊は短詩形を考える時に、ひとつの作品として独立した完成品であると同時に、
作品群としても完成したものでありたいと考えていました。
その作品群の完成形として試みていたのが二十の詩です。
完成した作品は数少ないのですが、少しずつ紹介してゆきます。

フリー句

豊が、もうひとつ試みていたのが、文章と一行詩のコラボレーションでした。
その試みのひとつがエッセイと一行詩の組み合わせの「フリー句」です。
これも数は少ないのですが、随分楽しんで作っていた作品です。一緒に楽しんで
くださいますように

いろいろな作品

豊は、短詩形の詩人でしたが、特に自由律や、一行にこだわってはいませんでし
た。今表現したいことに一番ふさわしい形を選ぶことにはこだわっていました
が。 晩年にあたる頃、あちらこちらへ投稿していた作品を選んでいます。

遺作

豊は、悪性脳腫瘍でこの世を去りました。そのため、最後の八ヶ月、病気の進行
による記憶障害を起こしながら、作品を作り続けていました。
自分の作品を「だれの作品や?」と聞く状態になっても、身体麻痺のため作品を
書くことができなくなっても、作品を作り続けていました。
その最後の日々の中で作られた作品です。推敲まではできなかったため、本人
にとっては不本意な作品群かもしれません。

追悼文(森田 斉生金澤 ひろあき)

豊が亡くなった後、たくさんの方にお悔やみをいただきました。その中から、文章
として豊について触れてくださったものを掲載させていただいています。

豊のこと

管理人は、榮井豊が短詩形に出会い、別れるまで、常に一番最初の読者でし
た。彼が言葉と出会い、遊び、苦しみ、至福の時を送る日々の中で、何を感じ、
何にこだわっていたのかをエピソードとして書いてゆきたいと思います。

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管理人について

ハンドルネーム  yuri
豊の作品の一番最初の読者  家族 妻 友人 仕事のパートナー
その他いろいろ  そしてなにより豊の言葉を伝えたいと思う人間

 

御礼

ホームページ作成にあたって、転載を快くお許しくださった「颱」編集部
森田斉生様、金澤ひろゆき様に心より感謝いたします。

 

ホームページ作成協力      ちなみ

豊のいろんなこだわりや思いを形にしてくれた豊と管理人の共通の友人である
ちなみに心からの感謝を。

2010年3月