追悼文
ひたむきに生きる
三月二十五日神戸詩会を終えて
、
榮井豊さんの通夜に出向くのは、
本当に気が重か
っ
た。
々
に強烈な個性を匂わせ、
若々
しいエネルギッ
シュ
な青年詩人が現れたと思
っ
たのもつかの間、
豊さんは彗星のごと く
、
私の目の前を流れ去
っ
ていっ
た。
鮮やかな光芒は、
まぶたの裏に焼きつけてはいっ
たが
、
そのはかなさは、
うら若い年齢ばかりではない。
、
もう覚えていない
。
詩会の雰囲気をじっ
と観察、
様子をうかがっ
ていたのかも知れない
。
度々
出席するようになっ
て、
その発言は、
はたを寄せ付けないような一徹さがあ
っ
た。
ガンとして自分の信念をまげない頑固さは、
駄々
子のような可愛さがあっ
て、
かえっ
て女性群の好感を得ていたようである
。
っ
た。
自分の生活を中心とした
、
自分の足元をじっ
く
り掘り下げていく タイプであ
っ
た。
青年らしい懐疑派で足元をじ
っ
く
り掘り下げて、
自分が倒れるかも知れない冒険を
、
あえて進めているようであっ
た。
生活が安定して喰べていければ
、
まあいいかという、
現代青年の甘っ
ちょ
ろさは微塵もなか
っ
た。
〝
割り切れない:
:
〟
。
彼の出発点は苦悩そのものであ余りを歌う
っ
たのかも知れない。
しかし、
:
。
事によ
っ
て氷解する。
いやしを求めたように思えるのである。
﹁
もういい﹂
を一日中咥えたまま〟
決して最後まで正解を求めようともしなか
っ
た。
それが正解である事を彼はいやというほど承知していたのかも知れない
。
﹁
もういい﹂
を一日中咥えている事は実に苦痛である
。
しかし、
現実を理解し、
乗り越えていくにはこれしか方法はないのであろう
。
忍耐と苦渋は彼をますます哲学的にしていくのである
。
〝
私は﹁
此処﹂
と一緒に歩いている〟
﹁
此処﹂
と一緒に歩いているという現実肯定は、
もう宗教の世界である
。
しかし諦めでは決してない。
﹁
歩いている﹂
と云う行動こそ
、
人間がとれる希望への唯一の象徴でもあるのだ。
哲理に満ちた言葉が
、
いとも簡単に吐き出せるというのは、
彼は一体何をみつめていたのだろうか
。
強烈な意思だけでは人間は脆いものである。
すがるものがあ
っ
てこそ強さが与えられるのである。
彼はとてもつらい自分のまわりを一周していた
。
しかし、
とてつもない自分にも気がついていなか
っ
たようである。
〝
いつの日かとき放つこのじゅ
ういちの柔らかさ〟
ゅ
ういちとは何んだっ
たんだろうか、
柔らかさといっ
ているのだから
、
本人にとっ
ては安らぎであっ
た事は確かである。
きゅ
うは到達寸前の安堵があるだろうし
、
じゅ
うは達成の虚無が漂うかも知れない。
じ
ゅ
ういちは、
それらを通り過した無限の自由さに満ちあふれた世界なのかも知れない
⋮
⋮
。
っ
ぽく考えることはないんですよ。
両手を大空に広げてじ
ゅ
う、
その次の世界がじゅ
ういち、
そういっ
て豊さんは笑っ
ているかも知れない
。
っ
た両手を合せる43歳は余りにも無念である
。
昭和33年淡路島生。
さ く井業であ
っ
た。
︵
一行詩︶