豊のこと (1)

 

「出会い」   ~いつも言葉と遊んでいた~

 

私が豊とであったのは彼が21歳の夏だ。「え?21」と首を傾げたくなるほど幼い
少年のような容姿と冗談ばかりの関西人の青年。それが豊の第一印象だった。

私にとって豊は、なんとなく知り合いになり、たまに会えば今何を面白いと思うか
を延々話しているそんな友人のひとりだった。そんなある日、豊から手紙をもらった。
内容はただの近況報告で、「誰に会った」だの「何をした」だの、天気の話、家族の
話。なんだかんだと書き連ねている文章に私は目を奪われてしまった。 便箋2枚に
びっしり書いてあるその手紙は、最初から最後まで、語呂合わせと言葉遊びで埋め
られていたのだ。

「おかん きんかん かきのたね・・」から始まるその手紙はもう手元にはないが、
最初から最後までその調子で書いてある文章で内容がわかることに私は舌を巻い
てしまった。

ちょっとマネして返事を書いてやろうかと思い挫折して、私は

「あなたの言葉はとても刺激的で面白いので、好き」とだけ書いた返事を書いた。

しばらくして豊に会った時にいつもあんなことをしているのかと聞くと、

「ちょっと躁状態だったから」

と照れくさそうに笑っていたが、私がそういう言葉遊びを面白いと思うのだと気づい
たのか、豊は、私の前でいろんな言葉遊びをやってみせるようになった。普通の会話
を一時間でも二時間でも五七のリズムで話すとか、会話の語尾を全部駄洒落にす
るとか、たまにくれる近況報告も回文になっていたりした。

そのたびに私が面白がり、ほめるのでいい気になったと後で言っていたが、豊は
自分の言葉遊びを形にしてみたいと思うようになっていった。

しかし、豊は私と出会って、言葉と遊び始めたのではない。ものごころついた頃には、
言葉と一人で遊んでいた。

好きな言葉を集めてみること。音やリズムの面白い言葉を組み合わせてみること。
テレビや日常で面白い言葉を見つけて覚えること。誰に遊び方を教えられたわけでは
なく、自然に言葉と遊んでいた。
「面白い言葉にであうことがとても楽しかった。」
「うまく言葉がつながって面白い言葉に変わるのが本当に面白かった」

豊は後でよくそんな昔話をしてくれた。しかし、自分が面白いと思ったことを人に話
しても誰も面白いと言わなかったと…。

 

ある日、童話を書いたから見てくれないかと豊に原稿を渡された。原稿用紙で20
枚ほどの作品の内容を私はもう覚えていない。

それより衝撃的だったのは、その文章のひどさだった。稚拙で小学生の作文の方
がよほどましと思える文章はがちがちに固まったよくある作品のできの悪い物まねだ
ったからだ。友人である豊に悪いと思ったから、何も言えずに私はその作品を返した。

「どうだった?」と聞かれて何と答えたのかすら覚えていないが、最後に「短い文に
才能あるんちゃう?」といったような気がする。

なぜあんなに自由自在に言葉と遊べる人が長い文章になるとこうなるのかこの時
私には理解できなかった。

何年か後で、長い文章もそれなりに自分のリズムで書けるようになった頃、豊がこ
の時のことをぽつりといったことがある。
「褒められたかったんかなあ」

自分が面白いと思ったことを一緒に面白いといった人に褒められたかった…そうい
う意味だったのだろうか?あえてその話をその後続けなかったから仔細はわからない
が、豊はこの後も、人に理解されたいという思いと動かせない自分の感性の間で表
現に苦しむことになる。しかし、それはもっと後の話。

この後、豊はあちこちのコピーや標語に応募したり、短歌や俳句、川柳などの真似
事をしたりし始めた。しかし、それはあくまで子供の頃から続けてきた言葉遊びの延
長の楽しみだった。一方で青年ならばだれもがそうであるように、生きることや悩む
ことや楽しむことに忙しく、生きることが短詩を作ることに結びつくのはもっともっと
後の話になる。