フリ
 
 

一行詩誌
に参加させてもら
て五年程が過ぎました
最初は
たいていの初心者がそうであるように
僕も
真似
から始め
たように思います
そして
作品のテ
マは常に
愚痴
自己弁護
でした
 
数年間愚痴と自己弁護を書き連ねていた僕は
ある日その事に飽き飽
きとして
書く ことに興味を失
てしまいました
愚痴にした
て自己
弁護にした
その出所は何時も同じ所で
つまり自分は同じ事を単
に別の言葉に置き換えているだけじ
ないか
そんなふうに思えたので
 
とカ
コ良く書きすぎました
有体に言
てしまえば
ネタ
に詰ま
と言う事です
そんなネタ切れ状態がしばら く続きました
 
僕に再び書く ことへの興味と興奮を与えてくれたのは
柳瀬尚紀氏訳
イムズ
イスの
ネガンス
イク
と東君平氏の作品
達でした
 
ネガンス
イク
何百ペ
ジにもわたり
言葉
がえ
んえんと氾濫し続ける小説です
東君平氏は画家であり童話作家であり
詩人です
 
ネガンス
イク
言葉
の可能性を見せてくれました
 
東君平作品は血の通
言葉
の体温を感じさせてくれました
 
この両者は随分かけ離れた存在です
一方は技巧の極致
もう片方は
素直のきわみ
 
けれど
両者の
言葉
はそれぞれの
ちから
で大きな感動を僕に
与えてくれました
 
ちから
と書く と誤解をうけそうだけれど
僕の考える
言葉
ちからとは
言葉
が発せられたとき
その言葉が作者自身であり
作者そのものであると言う事です
 
書き手としての僕に話を戻します
書き手をしての僕の作品は僕の
言葉
はたしてその
ちから
を持ちえているのだろうか
答えは
です
 
僕の作品
僕そのもの
の間には
大きな違和感が横たわ
います
 
今の僕の最大の目標はこの違和感を取り除く ことです
そのためには
かなり無茶なことでもやろうと考えています
 
そんな作業から生まれてくる作品は
としたら一行詩
いやそ
れ以前に詩とは呼べない代物になるかも知れません
 
そこで
僕はそんな作品達に呼び名をつけてやる事にしました
 
名付けて
フリ
です
 
 
 
 
フリ
句1
今日の僕も不機嫌だ
 
トンガ
テルね
 
トンガ
トルな
 
うん
トンガ
テしもた
擦り傷ジクジクじ
くじ
くジ
ルジ
ルどろどろ
 
化膿
脳味噌は誰かに喰われた
歩き続けんとあかんのや
更の皿
攫われて皿割れる
今日も待たされてさかなの目で見られている
遊ぶ豚も
もう少ししたら
ライスとトンカツ
ているさという顔
 
有る場所と無い理由
悲哀が引き止めた秘する否定に火の手
雨が降
ても降らなくても今日は不機嫌だ
来る
来る
来る
糸車繰るクルクル
それでも僕は僕を知ろうとする
 
 
 
 
 
 
個人誌を作ろうと考え出してから
もう随分とたちます
生来のとろ
い性分のせいで
僕は何をするにも
行動にうつすまでに時間がかかり
ます
 
 
ようやく
個人誌をどういうものにするか纏まりかけた時
あの震災
が起こりました
被害が大き過ぎました
人が死に過ぎました
そして
僕はなにもしませんでした
 
被害らしい被害を受けなか
た僕が
あの時考えていたのは
仕事の
先行きでした
 
僕の震災の作品は一つだけです
こまねいた手を暮らしに帰す
これがあの震災での僕のすべてです
 
 
 
 
自分の思い込みを気儘に書ける場が欲しくて
個人誌を思いつきました
そして
それは書く ことで自分の思い込みを客観視する場でもあると思
います
 
に参加して一行詩を書き始めてからず
僕は心のどこかで
褒められたい
と思い続けてきたような気がします
そんな自分に嫌
悪感を感じながら
褒められたい
という思いから抜けられずに来ま
した
現在の僕がそこから抜け出せたかと言うと
今のところまだ
念ながら
としか言いようがありません
僕は
劣等生
今でいう落
ちこぼれ
たから
情けないことにこの歳にな
ても
まだ褒めら
れる事に飢えているのかも知れません
今も
褒められたい
から抜け
出そうともがいています
 
 
 
 
この
フリ
はそんな僕の
もがき
も込められています
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬白
 
 
 
平成七年五月十五日
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
榮井
 
 
yutaka