フリ❘句 vol 1
一行詩誌
﹁
颱﹂
に参加させてもらっ
て五年程が過ぎました。
最初は
、
たいていの初心者がそうであるように、
僕も﹁
真似﹂
から始めたように思います
。
そして、
作品のテ❘
マは常に﹁
愚痴﹂
と﹁
自己弁護﹂
でした
。
、
ある日その事に飽き飽きとして
、
書く ことに興味を失っ
てしまいました。
愚痴にしたっ
て自己弁護にした
っ
て、
その出所は何時も同じ所で、
つまり自分は同じ事を単に別の言葉に置き換えているだけじ
ゃ
ないか。
そんなふうに思えたのです
。
ょ
っ
とカッ
コ良く書きすぎました。
有体に言っ
てしまえば、
﹁
ネタに詰ま
っ
た﹂
と言う事です。
そんなネタ切れ状態がしばら く続きました。
、
柳瀬尚紀氏訳ジ
ェ
イムズ・
ジョ
イスの﹁
フィ
ネガンス・
ウェ
イク﹂
と東君平氏の作品達でした
。
﹁
フィ
ネガンス・
ウェ
イク﹂
は、
何百ペ❘
ジにもわたり﹁
言葉﹂
がえんえんと氾濫し続ける小説です
。
東君平氏は画家であり童話作家であり詩人です
。
﹁
フィ
ネガンス・
ウェ
イク﹂
は﹁
言葉﹂
の可能性を見せてくれました。
っ
た﹁
言葉﹂
の体温を感じさせてくれました。
。
一方は技巧の極致、
もう片方は素直のきわみ
。
、
両者の﹁
言葉﹂
はそれぞれの﹁
ちから﹂
で大きな感動を僕に与えてくれました
。
﹁
ちから﹂
と書く と誤解をうけそうだけれど、
僕の考える﹁
言葉﹂
のちからとは
、
﹁
言葉﹂
が発せられたとき、
その言葉が作者自身であり、
作者そのものであると言う事です
。
。
書き手をしての僕の作品は僕の﹁
言葉﹂
は、
はたしてその﹁
ちから﹂
を持ちえているのだろうか。
答えは﹁
否﹂
です。
﹁
僕の作品﹂
と﹁
僕そのもの﹂
の間には、
大きな違和感が横たわっ
ています
。
。
そのためには、
かなり無茶なことでもやろうと考えています
。
、
ひょ
っ
としたら一行詩、
いやそれ以前に詩とは呼べない代物になるかも知れません
。
、
僕はそんな作品達に呼び名をつけてやる事にしました。
﹁
フリ❘
句﹂
です。
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フリ
❘
句1今日の僕も不機嫌だ
﹁
トンガッ
テルね。
﹂
﹁
トンガッ
トルな。
﹂
﹁
うん。
トンガ
ッ
テしもた﹂
擦り傷ジクジクじ 化膿
ゅ
くじゅ
くジュ
ルジュ
ルどろどろ脳味噌は誰かに喰われた
﹁
歩き続けんとあかんのや。
﹂
ま
っ
更の皿、
かっ
攫われて皿割れる今日も待たされてさかなの目で見られている
遊ぶ豚も
、
もう少ししたら、
ライスとトンカツ知 有る場所と無い理由
っ
ているさという顔、
顔、
顔悲哀が引き止めた秘する否定に火の手
雨が降
っ
ても降らなくても今日は不機嫌だ﹁
来る、
来る、
来る﹂
糸車繰るクルクルそれでも僕は僕を知ろうとする
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、
もう随分とたちます。
生来のとろい性分のせいで
、
僕は何をするにも、
行動にうつすまでに時間がかかります
。
、
個人誌をどういうものにするか纏まりかけた時、
あの震災が起こりました
。
被害が大き過ぎました。
人が死に過ぎました。
そして、
僕はなにもしませんでした
。
っ
た僕が、
あの時考えていたのは、
仕事の先行きでした
。
。
﹁
こまねいた手を暮らしに帰す﹂
これがあの震災での僕のすべてです
。
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自分の思い込みを気儘に書ける場が欲しくて
、
個人誌を思いつきました。
そして
、
それは書く ことで自分の思い込みを客観視する場でもあると思います
。
﹁
颱﹂
に参加して一行詩を書き始めてからずっ
と、
僕は心のどこかで﹁
褒められたい﹂
と思い続けてきたような気がします。
そんな自分に嫌悪感を感じながら
、
﹁
褒められたい﹂
という思いから抜けられずに来ました
。
現在の僕がそこから抜け出せたかと言うと、
今のところまだ﹁
残念ながら
﹂
としか言いようがありません。
僕は﹁
劣等生﹂
︵
今でいう落ちこぼれ
︶
だっ
たから、
情けないことにこの歳になっ
ても、
まだ褒められる事に飢えているのかも知れません
。
今も﹁
褒められたい﹂
から抜け出そうともがいています
。
﹁
フリ❘
句﹂
はそんな僕の﹁
もがき﹂
も込められています。