豊のこと (2)

 

「リズム」   ~僕の中の僕のリズム~

 

豊は、思いついたフレーズ、詩、言葉、擬音、いろんなものをあちらこちらに書き
留めていた。手帳、創作ノート、仕事の書類の片隅、広告の裏、新聞の片隅。思い 
つくまま書いた言葉を捨てずにその辺に置くものだから、豊の周りはいつも紙が散
らばっていた。そして、その言葉のすべてが縦書きだった。

一言だけ書いている単語も擬音も、走り書きした言葉のすべては縦に書かれて
いた。

縦書きと横書き。手書きとキーボード。書いた紙の種類まで、書く内容や文体、リ
ズムに影響を与えるのは、何かを書いたことがある人間なら、実感することだ。

豊の頭の中にある言葉は、いつも手書きと縦書きで生み出され、発表する為に
キーボードで活字に打ち込むときに、また変化した。

読むときも、縦で読むものと横で読むもので理解している場所が違う感じがすると
よく言っていた。

それは「リズム」なのだと豊は言う。

「手が書くリズム」、「目が読むリズム」、「声に出すリズム」、豊の言葉への理解
はいつもりズムから始まり、終わる。だから、自分の中の言葉を生み出そうとする
とき、豊は縦書きを選んだ。

豊が持っている言葉は縦書きでないと表現できなかった。

不思議なことに、仕事で書く報告書は抵抗なく横書きで書いていたし、最初から
キーボードに向かって文章を打てた。そして、縦書きで書く長い文章が目も当てら
れない駄文だったころから、仕事で書く報告書の文章は面白みはないが、特にひ
どくもないそつの無い文章だった。

「いったいどうなっているの?」と聞いたことがある。豊は笑ってこう答えた。

「わからん」

意識しているわけではなく、そうなってしまう豊の言葉の感覚は私にはよくわから
ないものだったが、それだけ豊にとっては、縦書きの表現は大事なものだった。

ホームページを作って作品を発表したいと考え出した頃、こだわっていたのも縦
書きだった。実のところ、ネット環境に縦書きはなじまない。横書きのリズムでネット
の言葉の世界は動いているし、豊の言葉をネットの中で縦書きにしただけで、世界
観が伝わるかどうかも疑問だ。しかし、豊にとっての表現方法は縦書きしか考えら
れなかったから、まずは縦書きのホームページ作成が一番の課題となったのだ。

 

実は、豊はあまりインターネットの世界になじんでいなかった。彼にとって、一番
好きな媒体は紙で本だった。インターネットで長い文章を読むのも苦手だったし、
他の短詩が横書きで書いてあることにも首をかしげていた。反対に「これは横書き
の作品だなあ」と感心していたりした。パソコンで読む言葉の世界は、あまり力が感
じられない。どうしてだろうとしきりに話している時期も長かった。

それでも、いろんな世界に通じる場所で作品を発表してみたいという思いにから
れて、豊はホームページの作成を夢見はじめた。

どうすれば、自分の世界をパソコンの中で表現できるのか、豊と随分たくさん話し
たような気がする。残念ながら、話しているうちに豊の時は途切れてしまったけれど。

だから、今回このサイトを立ち上げる時に、一番こだわったことは縦書きだった。

実は、詩の言葉を一行で書く、二行で書く。どこで切る、どのフォントを使う。豊が
いれば、「それは違うんや」と言われそうな気がしながら今原稿を作っている。

「。」「、」かっこの形、太さ、表現するときに豊は隅々まで気に掛けていた。そして、
その根拠はいつも「リズム」だった。自分の身の内にある「リズム」をどうしたら目に
見える形で表現できるのかが豊の表現者としての根本だった。

少しでも豊の「リズム」が再現できますようにと祈りながら、私は今日も原稿を作っ
ている。